飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)(奈良県高市郡明日香村)
- 弓長金参
- 2023年7月29日
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飛鳥地方に点在する飛鳥時代の遺構のひとつで、水落とは“水時計”のことです。
史料にある「漏刻(ろうこく)台」跡と想定され、650~660年ごろに使用したと考えられています。
水時計と言っても大がかりな設備です。

いく槽もの水槽を階段状につなげ、最上段の水槽を水で満たします。溜まった水は一定の流量で下段の水槽に注ぎ込みます。下段の水槽に溜まった水の流量で、時間経過が分かる仕組みです。

漏刻台跡
一見ごく原始的な設備ですが、それまでは“日時計”や、“目視で太陽や星の位置”から、おおよその時間経過しか分からなかった古代日本にとって、かなり正確に時間が分かる当時の最先端技術です。
漏刻台も“遣隋使”や“遣唐使”を通じ、中大兄皇子が採用したと伝えられています。

なぜ飛鳥時代の朝廷は、漏刻台が必要だったのでしょうか。
実用面として“朝廷勤務の時間管理”です。出退勤の時間、昼休みの時間などが体感のアバウトなものから、漏刻台で定刻になると太鼓の音などで知らせます。
正確な勤務時間による勤務査定は、律令国家を目指す朝廷の大切なツールです。
根底には、中国から伝わった「時の支配」の観念も影響しました。
王朝のトップ・皇帝はこの世にあるすべてのものを支配する、という観念です。
王朝内に住む官人や住民、森林に河川と物質面のみならず、“時も支配する存在”と考えました。

では、時はどのように支配するのでしょうか。
今、何刻か知らせ、それに合わせ行動させる。つまり時間管理は時の支配と同等と考えました。時間管理の強化に、正確な時を告げる漏刻台が必要でした。

「暦(こよみ)」や「年号」もそうです。
いつから一年が始まり、終わるか、今、何月何日かを朝廷が公開する暦に則(のっと)ります。
年号も同様に、今年が何年か年号に依(よ)ります。
朝廷の公開する暦や年号を受け入れることは、それを公開する朝廷、ひいてはそのトップの皇帝の支配を受け入れる、と宣言するのと同じです。

従って中国では反乱を起こすと、その支配地域は別の年号を使いました。別の年号を使うことは、皇帝の支配を拒否したことになるからです。