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百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)がねり歩く江戸の街:妖怪ができるまで

  • 執筆者の写真: 弓長金参
    弓長金参
  • 2022年9月18日
  • 読了時間: 4分

更新日:4月5日

一反木綿(いったんもめん)」や「ぬりかべ」などの個性豊かな妖怪たち。

 一反木綿と聞くと、つり目で空を飛ぶ、白いふんどし姿が思い浮かびます。おそらく大多数の日本人は、大同小異同じキャラクターを想起するでしょう。

一反木綿

 本来これらの妖怪は、一部の土地で語り継がれた「昔ばなし」に出てくるものです。

 当然ながら妖怪は“存在しません”。説明不可能な自然現象や、恐怖心をメインにした喜怒哀楽の感情の起伏を、便宜的に擬人化したものが「妖怪」です。


大好物の食べ物を前にしたときの嬉しい気持ち”を、形にしろ、具体的に説明しろと言われるのと同じで、「抽象概念」を万人共通の「具象化」することはできません。ゆえに万人共通の妖怪を描くことは難しいのです。

妖怪たち

 妖怪の話を聞き、聞いた人がなんとなくイメージするものが「妖怪の姿」です。本来、妖怪の姿は十人十色のはずですが、メジャーな妖怪のイメージは共通しています。なぜでしょうか。


 これは妖怪マンガの巨匠・水木しげる氏の作画活動が大きく影響しています。

 水木氏の描く妖怪を長年にわたりテレビやマンガで目にすることで、これらの妖怪は日本人全体の共通イメージとなりました。


 では、水木氏の描いた妖怪のイメージは、すべて自身が考えたのでしょうか。

 当然オリジナルの部分もありますが、氏の作画に大きな影響をあたえた人物がいます。江戸時代中期に活躍した絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)です。

江戸の妖怪

画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』など石燕の描いた妖怪画は、当時の江戸の街に大きな影響をあたえ、空前の「妖怪ブーム」が起こります。

 妖怪をネタにした小説や芝居、さらにグッズ販売など、江戸中いたるところで妖怪モノの作品や妖怪グッズがあふれます。


 石燕は当時の書籍、つまり文字情報で伝えられた妖怪の特徴を基に、次々と自身が想像した妖怪を描きました。

 言わば石燕は、次々に妖怪の「キャラクターデザイン」をしたのです。

百鬼夜行

 その絵が江戸の街で広まり、人びとは石燕の描く数々の妖怪を目にします。石燕がデザインした妖怪は、自然と江戸の人びとの共通認識として定着しました。


 後の時代の絵師も石燕デザインの妖怪画を模倣します。

 本来存在せず、姿を描けないはずの妖怪のデザインが固定化し、それをなんども目にすることで、日本人の共通認識として広まりました。現在目にする妖怪の姿は、江戸文化の遺産とも言えます。

江戸文化

 江戸の妖怪ブームは別の遺産も残しました。

本物の妖怪」です。妖怪ブームに沸く江戸時代の職人は、獣、鳥、魚などの材料を組み合わせ妖怪を作ります。

 よりリアルに、よりおどろおどろしく、“世界一器用”と評判の江戸の匠の技が生み出した妖怪たちは、リアリティある作品となりました。いわば精巧なフィギアです。

 当然これらの妖怪はそれなりの値がしますが、好事家(こうずか)が好んで購入するため、「妖怪作り職人」という職業としてなり立ちました。

江戸の職人

 ブームはいつか下火になります。かつての妖怪モノの小説、芝居にグッズ販売は、徐々に姿を消していきます。

 そのなかには匠の技・妖怪フィギアも含まれています。

 とはいえ、それなりの値がしたものです。ブームが去ったからといって捨てるのは躊躇(ちゅうちょ)しました。一旦蔵へしまおうと、妖怪フィギアは暗闇へと消え去ります。


 月日は流れ、購入者の好事家も亡くなり、蔵にある妖怪フィギアの存在そのものも忘れられました。妖怪は完全に闇の住人と化したのです。

古い蔵

 時代が変わり蔵の整理をしようと、好事家の子孫が蔵のたなを片づけます。

 そこでたなの隅に置かれた箱に気づきました。見ると「天狗之児也」と書いてあります。

 訝(いぶか)しみながらも箱を開けると、入っていた天狗之児らしき乾燥したミイラが目に入ります。


 もう蔵の整理どころではありません。

「これはなんだ」

「知らないよ、こんなもの」

「ご先祖さまがよく珍奇なものを集めていたらしいが……」

 と、家族会議です。

寺の供養

 好事家の爺さんが生きていれば笑い話で済みましたが、当人はすでに亡く、真相は闇のなかです。家族が大騒ぎしているそばには、不気味な天狗之児が横たわっています。

 祟り・障(さわ)りがあればどうしようと相談し、近所の寺にあずけて供養することになりました。これで一件落着です。


 現在も寺で供養され続ける天狗之児は、“ついに本物の妖怪を発見!”と銘打ち、ときどきオカルト番組で日の目を見ます。

 現代人が目にする江戸時代の匠の「作品」は、寺が丁重に保管し、今でも供養し続けているのです。

妖怪になる

 古来より“器物百年を経(へ)れば魂を得る”と言われます。

 江戸時代の妖怪ブームからすでに二百年以上経っているため、寺の片隅にある江戸時代の匠の“作品”は、もう本物の“妖怪”になっているのかもしれません。

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