犬山城(愛知県犬山市)
- 弓長金参
- 2023年5月12日
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更新日:2023年6月4日
天文6年(1537)に織田信長の叔父・織田信康(おだのぶやす)により築城されました。
その後、江戸初期の城主・成瀬正成(なるせまさなり)により築かれた天守は、現存する日本最古の木造天守で、国宝に指定されています。

犬山城天守
天守や城は、本来防衛目的の軍事施設です。
従って天守内部も急で狭い階段を上り下りするなど、本来の役割である城郭防衛の司令塔という、当時の雰囲気を十分堪能できます。

犬山城天守からの風景
反面、このような現存建造物は火気厳禁です。
近代に入り地元の観光誘致で造られた天守は、エアコンにバリアフリー、エレベーターと正に城型をしたビル・博物館ですが、犬山城に代表される現存建造物は、当然、そのような現代設備はありませんし、文化財保護の観点からもつけられません。

当時の雰囲気を味わえる代償として、真夏や真冬は暑さ寒さに耐えて観光しなければなりません。観光者のクール・ワームビズは必須といえます。
犬山城は築城以降、度々城主が変遷しましたが、元和(げんな)三年(1617)、尾張徳川家の重臣・成瀬正成により改良され、現在の形となります。
尾張徳川家の家臣とはいえ、正成は3万5000石の領地を有し、実質、一大名家として扱われました。以降、成瀬家が代々犬山城主として、明治維新まで犬山の地を統治しました。
犬山城から南東1.5キロほどの犬山市役所の近くに、「愛宕(あたご)神社」という地元の社があります。

愛宕神社の拝殿
ここに、織田信康が犬山城築城前に居館とした「木ノ下城」がありました。いわば元祖犬山城です。

信康が活躍したのは室町時代半ばです。
東西200メートル、南北350メートルの平城(ひらじろ)で、一般的な白壁に瓦屋根、天守が聳(そび)える近代城郭と違い、板塀で囲い、板葺(いたぶ)き平屋建造物が連なる城郭館です。 代々織田氏一族が城主となり、ここを中心に美濃国(岐阜県)進攻に活用しました。