御嶽山(長野県王滝村)
- 弓長金参
- 2023年5月13日
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更新日:2024年8月25日
標高3,067メートルの御嶽山は、古くから霊峰として敬われてきました。
富士山などと同様に山岳信仰の対象として、今も修験者の修行場ともなっています。麓には修験者の記念碑・霊神碑が、2万基以上建立されています。

山岳信仰とは、自然崇拝の観点から山を神聖視する宗教概念です。 恵みの象徴として、また諸神・精霊・悪霊の住処として山岳地帯を畏敬する、縄文時代に始まる原始的な宗教思想となります。

霊神碑の一群
御嶽山の山岳信仰は、飛鳥時代の霊能力者・役小角(えんのおづぬ)により大宝2年(702)に成立したと、伝えられています。 それ以降は、百日間の斎戒沐浴(さいかいもくよく)を済ませた一部の武家のみが登山を許されるなど、限られた人間のみが登頂していました。
その後、江戸時代半ばに、ここ王滝村などを登山口として庶民にも開放され、それにより御岳山を崇拝する御岳信仰が、一気に全国規模で広まりました。

麓の神社・里宮(さとみや)から三合目に、高さ約30メートルの清滝(きよたき)と新滝(しんたき)があり、登山前の滝行場になっています。
冬場はこれらの滝に氷柱ができ、神秘的な雰囲気を醸し出します。

清滝の氷柱
ここから8キロほど西へ山道を行くと、「自然湖」と言う湖があります。

この湖は1984年の長野県西部地震で王滝川がせき止められてできたもので、長い年月をかけ、徐々に自然形成されたものではありません。
そのため、当時生えていた樹木がそのまま残り、湖面に幹が林立している独特の景観を作り出しています。
御嶽山がある木曽郡は、源平合戦の英雄・木曽義仲(きそよしなか)の故郷です。
妻の女武者・巴御前(ともえごぜん)とともに平安末期の戦場を駆け巡り、平家を西国へ追いやる大殊勲を立てます。

しかし、元暦(げんりゃく)元年(1184)、源氏の内部抗争により、味方である源氏と対峙し、粟津(あわづ)(滋賀県大津市)で討ち死にします。