世界で一番危険な国?:外来語の漢字表記
- 弓長金参
- 2 時間前
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日本史に「卑弥呼」という人物がいます。
ご存じのとおり「邪馬台国」の巫女女王として3世紀の魏王朝と交流し、『三国志』(通称『魏志』倭人伝)に名が刻まれたことで、日本史にも広く伝わりました。

しかし改めて考えると、“卑”“邪”とネガティブな漢字を使っているのが気になります。
古来より漢民族は外国の人名や地名を現地人の発音を聞いて、発音の似ている漢字を選んで当て字にする、いわゆる「音訳」で史書に記しました。
つまり、卑弥呼の使者が魏の宮廷で“HIMIKO”“YAMATAI”に類似する発音で伝え、それを聞いた官人が当て字にする漢字を選んだのです。
日本以外にも、中国大陸の北方にいた諸騎馬民族も「匈奴(きょうど)」「鮮卑(せんぴ)」などと、ネガティブな漢字で表記するのが習わしです。
よりによって、なぜネガティブな漢字を使うのでしょうか。
漢民族が先史以前から持つ、「中華思想」に則っていたからです。
中華思想とは、中原(ちゅうげん)と呼ぶ黄河中流域のエリアを中心にした中国を世界の中心と捉え、さらに先にある日本や韓国、ベトナムなどの外国を中華文明よりも劣った国と見なす独自の思想になります。
従って外国との交易も独特でした。
交易とはある国に豊富にあるAをそれが欠けている国に売り渡し、その国に豊富にあるBを持ち帰る、つまりフィフティフィフティの関係が本来の姿です。
しかし、中国が世界の中心として物産豊かで欠けている物がないという前提のため、外国から中国に来る使節は、中国のすばらしさを慕って臣下の礼を取るために挨拶に来て、その返礼に中国の物品を下賜してもらう、つまり「朝貢貿易」でした。
実際は互いの物品を交易する通常の商売をしましたが、建前上、“朝貢”をメインにプラスアルファで交易をするというスタンスを貫いています。
そんな数千年もの長い習慣に変革のときが訪れました。
19世紀の半ばの「阿片戦争」を経て、強制的であれ、中国は本格的に海外との交流を始めます。
このとき初めて外国の使節と条約を結び、それにもとづいて交易をする近代的な外交が生まれたのです。
同時期の日本と同様に当時の中国には怒濤のように新しいことばが入り、都度、それに合致する音訳をした漢字表記の「造語」を考えました。
しかし、かつての中華思想に拠るものではなく、アメリカはメリケンから「美利堅」、イングランドが「英格蘭」、フランスも「法蘭西」とポジティブな漢字で表すように意識が変遷していきます。
基本的に19世紀以降の中国の“外来語”は、ポジティブな漢字を選んでいます。
しかし、何事にも例外はあるものです。
グアテマラは「危地馬拉」と表記します。
19世紀半ばの魏源(ぎげん)の『海国図志』にこのように表記して以降、台湾で「瓜地馬拉」と書く以外は広く普及したからでしょうか、現在でもネガティブな漢字表記が残っているのです。


