名付け親は赤の他人:絵画の名称の由来
- 弓長金参
- 2022年11月28日
- 読了時間: 4分
更新日:2月16日
パリ北方のシャンティイ城内にあるコンデ美術館の所蔵品に、“世界で一番高価で、世界で一番美しい書物”と謳(うた)われるランブール兄弟作「ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)」があります。
なんとも仰々しい絵画の名称ですが、本来この書物の名前は単純に「時祷書」となります。

時祷書とは、キリスト教徒が1日7回の祈りの時間に口ずさむ、祈りの文言を記した書物です。中世末期に時祷書が流行すると、祈りの文言以外に色とりどりのミニアチュール(挿絵の細密画)を描いた豪華版の時祷書が作られます。
「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」もその一冊で、かつ時祷書におけるミニアチュールの最高傑作となります。
この名作の持主はフランス中部のベリー地方などを有し「ベリー公」を称した、フランス国王・ジャン2世の3男・「ジャン」(1340~1416)です。

フランス全土の3分の1を統治し、同時代にフランス国王に就いた兄や甥を補佐した、当時の有力な王族でした。
圧倒的な権力と財力を有するベリー公ジャンは、画家たちのパトロンです。
ランブール兄弟もベリー公領の宮廷画家として召し抱え、金に糸目をつけず作成したのが、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」になります。

確かにすばらしい作品ですが、あまりにも自画自賛が酷いこの作品名に、やたらと仰々しさを感じさせられます。
実はこの作品名を考案したのは、ベリー公ジャンでもランブール兄弟でもありません。ベリー公ジャンの時代はもちろん、近代になるまで、美術作品に「作品名」をつける習慣はありません。

では、現在各作品についている作品名はなにかと言うと、“他の作品と区別する”ため、当時の関係者、もしくは後世につけられた「識別記号」です。
数多ある時祷書と区別するため、本作は“ベリー公が所有する、とても豪華に色彩をされた時祷書”ということで、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」と命名されました。
わざわざ“いとも”をつけ、他の時祷書と区別がつくようにしています。実際ベリー公ジャンは本作以外にも、「ベリー公のうるわしき時祷書」という時祷書作品も所持していました。

フランス国王を補佐する王族・ベリー公ジャンにとって、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は、宮殿に数多ある美術作品のひとつに過ぎなかったのでしょう。
ベリー公の死後、財産目録に「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」と記載していたため、本作の作品名として定着しました。作品名を考案したのは、ベリー公に仕えた使用人と思われます。
世界各地にある他の名作も同様です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」は、そのものズバリ“聖人イエスさまが処刑される前日、12使徒との最後の晩餐”を描いているからです。余りにも有名過ぎて、“いとも壮大なる”などの修飾語は不要です。

「サモトラケのニケ」は、“エーゲ海北部のサモトラキ島、通称サモトラケ島で発見された、勝利の女神ニケの像”だからです。

通称“青いターバンの少女”で知られるフェルメール作「真珠の耳飾りの少女」は、“真珠の耳飾りをつけた少女の肖像画”となります。

正しく見たまま、そのままです。なぜなら識別記号だからです。
ゆえに“将来への苦悩”や“混沌とした希望”などの抽象概念を作品名につけません。主観的感情では客観性がなく、他の作品と識別ができず混乱を招くからです。
だれが、いつ、どう見ても間違えないよう、“具体的”且つ“明確”な作品名をつけます。センスの良し悪しは不要です。むしろ邪魔になります。
作者が作品名も考案する習慣ができたのは、近代になってからです。
クロード・モネ作「印象・日の出」(1872年作)などになります。フランス北西部の港町ル・アーヴルの風景を描いたこの作品名は、モネ自身が考案しました。

ちなみに本作に感化された当時の若手画家が、従来の画壇と異なる、自身の感情を独自に表現した作風の作品を多数描きました。近代絵画の発展に多大な影響を与えた「印象派」の由来は、本作から来ています。
現代絵画では、作品名に英語やフランス語など外国語を用いるなど、作家も作品名自体に色いろと工夫を凝らしています。あえて“無題”とする作品もあります。
“作者がどういう思いでこの作品を描いたのか”、作品名とセットで作品を鑑賞するのもひとつの楽しみと言えます。