北畠氏館跡(三重県津市)
- 弓長金参
- 2023年5月13日
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更新日:2024年8月13日
南北朝時代から織豊時代まで三重県中・南部を支配した、北畠親房(きたばたけちかふさ)(1293~1354)を始祖とする、北畠氏当主の館・多気御所(たきごしょ)跡です。
現在は北畠神社となっています。

多気御所跡(北畠神社境内)
数多の戦国大名家のなかで、北畠氏が特異な点は公家出身ということです。
北畠氏の歴代当主もあくまでも公家であると意識し、京都の宮廷とも交流を続けます。領内で連歌会や猿楽なども興行する、王朝文化的側面が強い戦国大名家でした。

地名“多気(たき)”から、北畠氏の当主は「多気殿」と呼ばれました。
ここには細川高国(ほそかわたかくに)(1484~1531)作庭の北畠氏館跡庭園があります。
当時の庭園を復元し、中央に“米”の字を模した池を配した、美しい日本庭園となっています。“池泉(ちせん)観賞様式”と言い、建屋内から庭園を楽しむタイプの武家書院庭園です。

北畠氏館跡庭園
高国は室町幕府で、将軍を補佐する幕臣ナンバーワン・管領(かんれい)に就いた人物です。のちに幕府内の権力争いに敗れ、自刃しました。

多気御所の背後には、多気盆地に築いた標高560mの「霧山城跡」があります。
当主や家臣は普段、麓の多気御所で過ごし、ここは有事の際に立てこもる“詰めの城”です。現在でも典型的な中世城郭の遺構が残っています。
近くにある美杉(みすぎ)ふるさと資料館では、この地域・美杉や北畠氏に関する資料を展示しています。
注意しなければならないのが、本資料館に江戸時代の地図などを多数展示していますが、描かれた北畠氏の多気御所や霧山城は、考古学的根拠によらないまったくの想像であることです。

多気御所を京都御所風に描いていますが、ほんとうに京都御所風だったかは不明です。
霧山城も近世城郭風に白壁に天守閣を備えた城として描いていますが、実際の霧山城は代表的な中世城郭で、板塀にやぐらなどの建屋を配した有事の際の砦です。
地図の縮尺もアバウトで、描かれている寺院や川も、大まかな方角のみが合致しているあくまでもイメージ図です。
現在では当時の情景を知る貴重な資料ですが、屏風などに描いているものは、インテリアとして制作されたと考えられます。