光明寺(こうみょうじ)(京都府長岡京市)
- 弓長金参
- 2023年5月13日
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更新日:2024年8月7日
浄土宗の分派・西山(せいざん)浄土宗の総本山です。
浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子である西山上人は、自身の宗派・西山派をこの寺院で広めました。
以降、西山浄土宗の総本山となっています。

西山浄土宗の特徴は、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることのみが、極楽往生の方法である、と説いていることです。
他の浄土宗各派の説く、念仏以外の善行も必要とする点が違います。
こちらは1230年、法然上人の弟子・聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)、通称・鎮西(ちんぜい)上人によって唱えられ、「鎮西派」と呼ばれます。

光明寺御影堂
当寺は同じく法然上人の弟子・蓮生上人(れんしょうしょうにん)ゆかりの寺院でもあります。
蓮生上人が鎌倉時代初期の1198年(建久9年)に、この地に建てた「念仏三昧堂」が光明寺の起源になります。
蓮生上人は出家前は、熊谷直実(くまがいなおざね)と名乗る武士でした。

『平家物語』にある一ノ谷の戦いで、敵将の平敦盛(たいらのあつもり)を泣く泣く討ち取った一節は有名です。
源平合戦後、鎌倉幕府の自身に対する扱いに不満を抱き、法然上人に師事し、出家しました。

広大な境内各所にカエデが植えてあり、当寺は紅葉の名所として知られています。

光明寺もみじ参道
カエデは漢字で“楓”と書きます。
「紅葉」と書き「モミジ」とも言いますが、実はモミジという植物は存在しません。
葉が5つほど枝分かれしたものは、すべてムクロジ科(カエデ科ともいう)カエデ属、つまりカエデになります。
ちなみにこのカエデは、“カエルの手”が語源です。

万葉の時代、カエデに限らず、秋が深まるにつれ植物の葉が赤くなるさまを、“もみち”や“もみぢ”などと言いました。
カエデの紅に染まる葉が殊の外美しく、カエデに特化し“もみち”や“もみぢ”と言っていたため、カエデの別称としてモミジが浸透しました。

しかし実際には、「ヤマモミジ」など一部のカエデ属の植物名称に使われる場合もあります。葉が5つに分かれ、深い切れ込みがあるカエデ属は“〇〇モミジ”と命名されています。