伊賀上野城(三重県伊賀市)
- 弓長金参
- 2023年5月13日
- 読了時間: 2分
更新日:2025年7月7日
現在の三重県津市に本拠を置いた藤堂家・津藩の城です。
津藩は伊賀国(三重県西部)も領国とし、伊賀を統治するための拠点に伊賀上野城を活用しました。

伊賀上野城の天守
江戸幕府初期の元和(げんな)元年(1615)、諸大名の勢力を削ぐため「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」が発布されました。
原則、各藩は居城以外の各拠点にある城を破却しました。

それに則(のっと)れば津藩も津城のみが許されることになりますが、津藩が津城のある伊勢国(三重県)と、西の伊賀国も領国としていたため、“伊賀国の居城扱い”として例外的に伊賀上野城が許され、藤堂家一族が歴代城主を務めました。
本城の特徴は、高さ約30メートルに及ぶ「日本一の石垣」です。
現存する石垣では日本一の高さを誇ります。上から外堀を覗(のぞ)くと目が眩(くら)むほどで、その迫力を体感できます。

伊賀上野城の石垣
当地の有名人といえば、やはり俳聖・松尾芭蕉です。

近隣には芭蕉の資料館や生家など芭蕉所縁(ゆかり)の施設はもちろん、「俳聖殿(はいせいでん)」という芭蕉の姿をモチーフにした建造物があります。
1942年に建造された近代建造物ですが、国の重要文化財に指定されています。

俳聖殿
当地で混乱するのが「伊賀上野」という地名です。
江戸時代、伊賀上野城を中心に武家屋敷が連なる城下町がありました。城が聳(そび)える地名・上野山から近隣エリアは“上野”と呼ばれました。
近代以降も「上野市」という地方自治体があり、引き続き地元では“伊賀上野”と呼び慣らわされてきましたが、2004年に近隣の自治体と合併し「伊賀市」と命名され、現在に至ります。

しかし、伊賀上野城に代表されるように、長年に渡り親しまれた“上野”や“伊賀上野”という地名も健在で、街のあちこちにそれらの看板や標識を目にします。
当地が「伊賀市」なのか「上野市」なのか、少し混乱してしまいます。


