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モンスターがやって来る日:春節の爆竹の起源

  • 執筆者の写真: 弓長金参
    弓長金参
  • 2022年5月4日
  • 読了時間: 3分

更新日:5月3日

 もうすぐ大晦日、年越しです。

 幾つか呼び方はありますが、中国語で大晦日を「除夕(じょせき)」といいます。正確には大晦日の日没から新年までの時間帯を指します。“夕(せき)”を“除く”で「除夕」といいます。

除夕

 除かれるとは、中国に古くから伝わる魔物です。新年が近づく時期に人里へ来て暗闇から人を襲う恐ろしい魔物ですが、音や光りが苦手、さらに赤いものを嫌う不思議な性質を持っています。

 古代中国の人びとは夕の弱点を踏まえ、大晦日の夜、爆竹で音や光を発し家の門に赤い紙を貼り、夕を追い払いました。赤い紙「春聯(しゅんれん)」には“無病息災”“商売繁盛”などよい年を願うことばを書きます。

夕

 夕を除く習慣・除夕は、2500年以上前からあります。

 6世紀の書物に“大晦日に爆竹を鳴らす”と記載があり、当時から新年の風物詩として定着していたことが分かります。韓国やベトナムなど中華文明の影響が強い近隣諸国も、年越しの習慣として根づきました。

 中国の年越しの代名詞といえば、やはりこの爆竹です。ご存じのとおり火薬を使います。

爆竹

 火薬は古代中国の4大発明のひとつです。「羅針盤」「」「印刷技術」と「火薬」。火薬はどうやって生まれたのでしょうか。

 中国の土着宗教・道教(どうきょう)の僧侶・道士(どうし)は、古来より不老不死などを目的に色々な薬「煉丹(れんたん)」を作ります。実際薬になるものもありますが、今から見れば明らかな毒薬もあり玉石混交(ぎょくせきこんこう)です。


 数多の煉丹のなか、道士は火薬を発明しました。

 7~8世紀の隋から唐王朝の時代です。当初は薬の認識でしたが、家屋が爆発し炎上する事故が何度も発生。発明者の道士は火薬が薬でないと分かり興味を失いますが、軍官は注目し次第に武器へと転用します。

火薬

 11世紀ごろの北宋王朝の時代、火薬の爆発力で遠くへ飛ばす矢や、敵軍へ投げ込み不特定多数を殺傷する手りゅう弾を発明します。

 13世紀にはヨーロッパに伝わり大砲や銃器へと改良され、従来の刀や槍よりも強力な兵器として普及します。


 では火薬が発明される以前の「爆竹」は、どうしていたのでしょう。

 当時は竹を燃やし、はぜた竹で音を出しました。現代中国語では鞭状に連なった砲から一般的に「鞭砲」と書きますが、日本と同様に“”が“爆発”するから「爆竹(ばくちく)」とも書き、古代の風習の名残があります。

竹を燃やす

 ところでは存在するのでしょうか。一説には、夕とは飢えた野生動物を指すとあります。

 暗闇から人家に忍び寄り、背後から人を容赦なく襲う。その割に音や光に愕いて逃げ、見慣れぬ赤い紙を警戒する。伝説の魔物にも関わらず、炎をはいたり空を飛び回ったりする特殊能力はありません。残酷な面がありながら警戒心が強く憶病な面もありと、冬場の飢えた野生動物の特徴そのものです。

 爆竹にしろ春聯にしろ、古来の風習は後づけで発生原因の物語が作られます。

春節

 よりドラマチックにするため、夕の属性も後の時代に足されたのでしょう。

 爆竹の音や光で厄災を払う考えは、日本の神道の手を叩き、音で空気を清める考えと似ています。音が去った静寂に心が洗われる。人類共通の感性なのかもしれません。

 厄災が去ることを願いつつ。みなさま、よい年をお迎えください。

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