クローン技術から生まれた風物詩:花見の習慣ができるまで
- 弓長金参
- 2022年5月4日
- 読了時間: 3分
更新日:4月25日
東風(こち)が吹くうららかな春、花見の季節です。
花見といえば桜ですが、古代日本では「梅」を観ました。春に梅を観賞する中国の習慣が、遣唐使を通じ伝わります。

古代中国で、なぜ梅が愛されたのでしょう。
梅は肌寒い初春も、鮮やかな赤い花を咲さかせます。凛とした美しさに古代中国人は感銘を受け、3000年以上前から梅を栽培しました。
蘭、竹、菊と並び「四君子(しくんし)」と呼び、絵画のモチーフによく描きます。
同様に松や竹とともに冬空の下、堂々と立つ凛々しい姿に「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と呼び、草花の君子として愛でました。

梅の花見が流行った奈良時代は、中国の庭園を模倣した「日本庭園」が造られます。
今までは広いだけの庭を、全体の美観を考慮し池を掘り、丘を盛り、石を配置して人工的な庭園を造ります。樹木も植え、なかでも梅を好んで植樹しました。
屋敷から庭園を眺めながら、酒を酌み交わし、歌を詠み、楽(がく)を奏でる。「花見」の始まりです。

平安時代中期に遣唐使を廃止するころ、中華文明の模倣スタイルではなく、それを土台にした日本文化が芽生えます。
建築、絵画、服飾などが日本独自のスタイルへと変わり、庭園も日本人の美意識に沿ったものになります。好みの花も梅から桜へと替わりました。
威風堂々と色鮮やかに咲く梅より、ひっそりと佇(たたず)む淡い桜が、日本人の心情にマッチしたのでしょう。
梅の花見と同様、当初は都の宮廷貴族を中心に流行った桜の花見も、徐々に地方へと広まります。
それにつれ、花を観賞するだけでなく、賑やかな宴会イベントへと変化します。

豊臣秀吉の「醍醐(だいご)の花見」に代表される大規模な花見もあります。江戸時代中期には、庶民の間にも春のイベントとして定着しました。
現在桜の80%ほどを占めているのが、「ソメイヨシノ」という品種です。
江戸時代末期に東京都の染井(そめい)村で作られ、奈良県の桜の名所吉野にあやかり、ソメイヨシノと命名されました。

品種改良の桜のため、ソメイヨシノはほとんど種子を残さず、「接ぎ木」で増殖します。
ソメイヨシノの枝を、他の樹木の切り株に密着し固定すると、枝と切り株が融合し、ソメイヨシノの枝が樹木へと成長する技法です。
増やしたい樹(この場合はソメイヨシノ)を「穂木(ほぎ)」、土台となる切り株を「台木(だいぎ)」といいます。
受粉の交配と違い、接ぎ木は樹木のDNAを直接受け継ぐため、成長した樹木はいわば「クローン」です。

全国に生えている数多のソメイヨシノは、個体差がほとんどありません。
桜のシーズンになれば、そのエリアのソメイヨシノが回れ右し、日本人の特性よろしく皆一斉に開花し、散るのは、樹木間の個体差がないためです。
桜の花見は、花見の故郷・中国でも人気があります。
名所のひとつが湖北省の武漢市にある武漢大学で、戦前、日本人が植えた桜並木が有名です。近年中国では各地で桜を植え、満開時に行楽する桜の花見が定着しつつあります。

中国から伝わった梅の花見は日本で桜に替わり、現在、中国へ逆輸入しました。
他国の文化を輸入し、自国の文化と融合させ、自国の文化が発展する。日本の「梅の花見」や中国の「桜の花見」から、文化発展の一端を垣間見ることができます。