「他山の石」は貴重な宝石:駄作は反面教師
- 弓長金参
- 2022年7月23日
- 読了時間: 3分
更新日:4月11日
「他山の石」とは、自分に影響のない他人の行動を教訓にすることです。

小説を書く上で誤字・脱字や文法的に正しいかではなく、読みやすくするテクニックや基本ルールがたくさんあります。
例えば「私」や「あなた」などの主語は、文脈で分かるならカットする。
「彼」や「彼女」も同様にだれか分かるならカット。書くなら“彼”なら「太郎」、“彼女”なら「花子」とだれを指すか名前を書く。
「!」「?」「……」も文章がチープに見えるため基本カットする、などです。

文学賞の審査員をするプロの作家が紹介する、“応募者(アマチュア作家)の失敗アルアル”も、大変勉強になります。
アルアルの一つが“登場人物、特に主人公をぼかして作品を書いてしまう”です。
応募作のなかには、主人公の名前や年齢、性別すら書いていない作品があると紹介しています。
“まさか、そんなバカな”です。主人公の名前や性別を書かないなんて、常識的にありえないと思いました。が、ある機会で私も現実に目の当たりすることになりました。

最近アマチュア作家の小説を読みました。
その作品は主人公の名前、性別、年齢、容姿、服装、性格などの基本事項が一切述べられず、一方的にストーリーだけ進行します。
名作『ノルウェイの森』を模倣した『我流ノルウェイの森』と言えば、イメージが湧くでしょうか。登場人物の心理描写や状況説明が欠落した状態で、“切ないピュア・ラブストーリー”のラストへ、強引に引きずります。

まったく面白くありません。
面白くないと言うより、主人公を始め登場人物の紹介があまりにも不足し、断片の文言からしか人物像が想像できず、ただただ心にモヤモヤが募ります。
読者一人ひとりの想像にゆだねるレベルではなく、それすら不可能なくらい必要情報が欠落していました。

かなり衝撃を受けました。こんな欠陥だらけの小説を読んだことはありません。
考えてみれば、それは当然のことです。
今まで読んだ数多の作品は、プロの作家が書き、出版社の編集者の目を通した「プロの作品」だったからです。
当然、小説の表現テクニックは押さえてあり、一読で読者を作品世界へと誘うよう仕上がっています。

今まで文学サークルなどに入ったことがなく、同人誌などを回し読みしたこともありません。考えてみれば生まれて初めて「アマチュア作品」を読んだのです。
作家に必要なスキルの一つは、“自分の文章を客観視する”ことです。
文章を書きながら、頭のなかでは感情豊かな登場人物たちが場面を彩ります。
アマチュア作家の場合、活字化した文章が伝わり難くても、無意識に頭のなかのイメージが欠落部分を補足し、その欠落した文章でも読者に正確に伝わると思い込んでしまうのです。
読者に“伝わるであろう”と思わず、“伝わらないかもしれない”と、常に「初見読者の目線」で文章を推敲するスキルが必要なのです。

小説の表現テクニックや基本ルールを無視すれば、どう仕上がるのか。『我流ノルウェイの森』は思う存分教えてくれました。
“駄作・失敗作の方が小説の勉強になる”と、プロの作家も言っています。
有名作品では表現が上手く、欠点が分かり難いのですが、駄作・失敗作では欠点が浮き彫りになり、分かりやすいからです。

断わっておきますが、本記事はそのアマチュア作家や、その作品を揶揄(やゆ)するのが目的ではありません。
むしろ一作品書き上げたことを褒めたたえたいと思っています。
私も習作を何作も書いています。小説を書くとは、時間も労力もいる大変な作業です。生半可な気持ちでは小説を書けません。
本作を単に駄作・失敗作と嘲(あざ)笑うのではなく、戒めとする。そういう意味で本作は、思い出深い作品となりました。