アジアの伝統文化:年号の起源
日本人にとって身近な「年号」ですが、その起源は古代中国までさかのぼります。

前漢王朝の第7代皇帝、武帝が、紀元前140年に制定した「建元」がその始まりです。
弱冠16歳で即位した武帝ですが、国内外の問題に積極的に取り組みました。
王侯貴族の権勢を押さえ、皇帝独裁の中央集権を強めます。
一方で、一介の学派でしかなかった「儒教」を、〝国学〟として普及させました。以降、2000年にわたる中国イコール儒教のイメージを築きます。
国外遠征にも力を入れました。
当時、脅威であった北方の騎馬民族国家、匈奴に大打撃を与え、中央アジア以西との交易ルート、いわゆる「シルクロード」を確立します。
なにごとも革新を求めた武帝は、現在、何年目かを明確にするために考案したのが、年号です。
年号が制定される前は、「恵帝7年」「成王3年」など、君主が即位して何年目かでその年を表記しました。
年号が普及したことで、何年目かがわかりやすくなりました。
同時に、年号を使用することは、それを制定した皇帝の支配を受け入れるニュアンスもあります。中央集権化の推進にも一役買っているのです。
年号は君主の即位以外にも、瑞祥の動物を発見した、珍しい天体観測があったときの〝験担ぎ〟や、国内で大きな災害があったときの〝厄落とし〟として変更されました。
7世紀の唐王朝、高宗時代は14回も変更しています。
年号は通常、漢字2文字ですが、それ以上のものもあります。11世紀の西夏王朝では、「天授礼法延祚」の6文字の年号を使用しました。
年号の習慣は周辺諸国にも波及し、6世紀には朝鮮半島、7世紀に日本、10世紀にベトナムで採用されており、現在では唯一、日本にのみその習慣が残っています。

